はじめまして!みいといいます!
もしあなたが生きづらさを抱えているのなら、
絶対に大切な親友に相談しないで!
私のライフスタイル
子どもを産む前の私は仲のいい友達数人とスタバで笑い合ったり、ガストで朝までガールズトークして、そのあとノリで海に行ってはしゃいだり。
洋楽+ダンスが好きだったので毎週のようにクラブに通ったり、居酒屋をハシゴして飲み歩いたりなど自由気ままに楽しんできました。
子どもが生まれてからは遊び方がガラリと変わり、動物園や遊園地など子どもが喜ぶ・楽しめることが第一優先で、色んなところに出かけるように。
それでも夫・子どもとも、友達とも仲が良く、結果的に子どもを産む前も産んだ後も毎日がとっても楽しすぎて仕方ない、というライフスタイルを送っています。
ちなみに夫とは交際して10年になるんですが、周りからはお似合いだとか、兄妹みたいなどと言われたり、私たちの存在に憧れてくれる人もいました。
もちろん、夜泣きやイヤイヤ期など子育てがうまくいかなかったり、夫と口論になることもありますが、そんな日々もひっくるめて楽しいし、幸せだなって感じています。
原因の分からない生きづらさ
ここまで読んでいただくと、ただの自慢が多い幸せアピール女と思われるでしょうが、この人生にたどり着くまで結構つらい過去をおくってきました。
そもそも私は集中力が極端に欠けていて小学校低学年の頃から授業中はずっと時計を見ながらボーっとしているか教科書に落書きしているかのどちらか。
クラス1勉強ができない女の子でした。
集中力に加えて何かに対する意欲ややる気みたいなものもなく、宿題はもちろん、集金袋とか大切な書類もしょっちゅう出し忘れたり無くしてたし、部活や習い事などどれも長続きしなくてサボってしまう。
どれだけ怒られても直すことが出来ず、ただただ原因不明の脱力感・無気力感に悩まされていました。
それに加えて小学生時代の人間関係では人の気持ちを考える事が出来ず、自分に従わせようと友達をモノのように扱っていたこともしょっちゅう。
そんな私に嫌気を指して、離れて行く友達に対しては思うようにいかない苛立ちを感じることも。
子どもとは言えどほんっとうに歪んだ考え方だったと思います…
ところが中学生になると、それまでとは真反対に、人の顔色が気になって本当は嫌な事も相手に気を遣って嫌と言えなかったり、仲のいいグループに違和感を感じる事もありました。
それどころか仲のいい友達が次々離れていったりイジメのような体験も。
それに加え集中力&やる気の無さは相変わらずだったのでユニフォームが可愛いってだけの理由で入った部活も秒で幽霊部員に。汗
ただ、この辺の悩みって思春期あるあるだし、そこまで深く考えてなかったんですけど、実際には人の顔色を気にしながら生活する日々は、中学を卒業しても高校を卒業してもなくなることがありませんでした。
そんな自分に嫌気がさして自信を無くしたり、何事に対してもネガティブ思考で、家や学校で嫌な出来事があってもその場では相手の顔色やその場の空気を深読みして我慢してしまい、後からそれがムカついて異常なまでの恨みや憎しみに変わり「なんでこんな理不尽なこと言われてるのに言い返せなかったんだろう」って後悔するばかり。
そして何気ないとき、勝手に嫌な記憶が頭の中をぐるぐると巡ってきて、考えたくないのに何度も思い返してしまい、「あんな酷いことをいったアイツが憎い、許せない」と憎しみが膨れ上がって余計に苦しくなる、というループを無限に繰り返していたのです。
他にも
- 些細なことで傷つきやすい
- 過去の失敗をいつまでも引きずる
- ネガティブで落ち込みやすく
- 自己肯定感や自己評価が低い
- 本心を抑えてでも相手を優先させてしまう
- 自分の気持ちを我慢ばかり
- 乗り気になれない誘いを断れない
- 責められたりきつい口調で言われると思考停止してしまう
- かなりのメンヘラ気質
- 「コイツ気に食わないな」と思ったらもう関わらないなど何事にも極端に白黒決め込んでしまう
といった生きづらさを抱えていたのですが、そんな自分の悩みと向き合うことが面倒くさく、あまり解決策など探すことはありませんでした。
私の人生の転機
高校生活を終えて
生きづらさを抱えている状態のまま、子どもの頃からなりたいと思っていた保育士を目指して進学。
入学早々、手遊びや読み聞かせの練習など保育士らしい授業がたくさんあったのですが、案の定私は集中力がなく後ろの席で友達とスマホをいじりながら、喋っているだけ。
帰ってからは家族に内緒で友達とキャバクラやパーティコンパニオンのアルバイトをしながら稼いだお金で友達と服を買ったりと遊び惚けていました。
(枕営業をする方に偏見はありませんが私は一切経験なし)
そんな私ですが、優等生並みに集中して参加した授業が1つだけあります。
それは「気になる子」を取り上げる授業でした。
保育士がよくいう「気になる子」というのは、主に障がいや発達遅延が疑われる子などを指すのですが、その授業で取り上げる「気になる子」は、まるで違いました。
友達に対して乱暴な子や、泣くとなかなかおさまらない子、なぜかクラスの輪から浮いてしまう子など。
その授業を通して学んだことは、
「こどもの姿には家庭環境や養育者(主に母親)との関係が深く関わっている」
ということ。そして、
「そこを解決できないまま成長するとその傷を抱えたまま大人になる」
ということです。
つまり子ども時代の家庭環境で体験した心の傷をないがしろにしたまま成長すると
生きづらさを抱えた大人になってしまう
ということですね。
そして
まだ小さな子どもたちの危険シグナルを見つけだし、その後大人になった時、生きづらさを抱えなくても済むようにすること
これが私の保育士になる使命だと感じ、それまでとは人が変わったように意欲的に勉強するようになりました。
「気になる子」や「児童虐待」をあつかう授業はとりわけ真剣に参加し、「気になる子も、正しく関われば改善していくこと」、「虐待は殴る、蹴るといった身体的暴力だけではないこと」など知識を深めていったのです。
ところで、常日頃から集中力がない私がなぜ「気になる子」や「虐待」について触れる授業にだけは意欲的に勉強できたのか?
それは私自身が生きづらさを感じていた上に子どもの頃、劣悪な家庭環境で育ったからです。
私の子ども時代
就学前は母からビンタで叩き起こされたり、髪に櫛をからませただけみたいな些細なことでもガチで頭を殴られるみたいな事がよくありました。
ところが母は同じことをしても全然怒らない時と、激しく怒鳴り散らかし手をあげる時があり、母の態度のムラにはかなり悩まされたものです。
そして私は歳の離れた兄、姉の3人きょうだいで、母はいつも父や父方の祖父母、父の兄弟の愚痴や不満、自分がどれほどつらい人生を送って来たかについて私たちきょうだいに何度も言い聞かせてきたので、私は父や祖母に態度を悪くし、全力で母の味方であることを示してきました。
そうしないと母が遠いところにいって帰ってこなくなってしまう気がしていたからです。
他にもいろんなエピソードがあります(笑)
私が小さい頃から母は
知らない男の人とキスをしたり、また別の人と腕を組んでいる写真が出てきたり、それまた別の人からプロポーズされていたり…
子どもの頃からしょっちゅう父ではない男の人と3人でご飯に連れていかれたのを覚えています。
それから小学生になった時には
母が出稼ぎという名目で家を出ていってしまったこともあり、家にはご飯がなく何度も寝て空腹をしのいできました。
小学生が朝、白米に塩をかけてご飯を済ませ学校へ行く。
PTAの書類に自分で署名して提出する。
夜に家を出ても家族の誰にも気づかれない。
家には誰かしら居たものの育児放棄と言える状態でした。
母はたまに帰ってくるのですが、
急に家の庭で服を燃やしだしたり、睡眠薬を飲んで救急車に運ばれたりと問題ばかり。
父と母の夫婦ゲンカを含め、異常でヒステリックな両親や兄姉の怒鳴り声、ものが散らばる音やガラスが割れる音。
寝ていても鼻を塞がれて笑いながら起こされたり、急に首を絞められるといった家族からの嫌がらせ。
私はいつも怯えながら存在を消していました。
中1の時、まさかの母が不倫していることを告白してきて、その数日後には不倫相手の元へいってしまいました。
恥ずかしい話ですが、中学生になっていたにもかかわらず、当時この上ないほどの寂しい感情が溢れかえり、「私は捨てられたのだ」と自分の中の冷めたもう一人の自分が覚醒したのを今でも強烈に覚えています。
しばらくして別れたかとおもうと、その元不倫相手からある宗教に勧誘されたらしく熱心な信者になって帰ってきました。
そうこうしている間に中2で父が他界。
その辺りから、姉や母からの本格的な過干渉や支配的扱いに悩まされるようになりました。
ちなみに高校時代の親から言われていた門限は17:00でした。爆
もちろん遊び盛りの私はそんな言いつけを守れるはずもなく、平然と門限の時間を過ぎても遊び続けていたのですが母と姉から「今すぐ帰ってこい」というメールと目を疑うほどの着信履歴の数。
完全にホラーです。
「私だって遊びたい。17:00に帰ってこいとか異常すぎる。小学生の時は私が夜に外出したって気付かなかったくせに今更、母親面してくんな」と私の思いをメールで送ると即座に返信が来ました。「分かりました。じゃあ帰ってこなくていいよ、今から市ぬから。」
友達とドン引き&怯えながらそのメールを見た記憶が今も鮮明に残っています。
それまでは「この歳になって親の言うこと黙って聞くなんてヤバいよ」と言っていた友達も顔を引き攣らせ、私よりも、その母や姉のがヤバいことと、言うことを聞かざるをえない家庭であることを理解してくれました。
…という感じで色々と内容が渋滞していますが、これでも端折った方なんです。
細かく言えばもっと色んなエピソードが出てきます。笑
そういった経緯があり、生きづらさを抱えている上に、そんな子ども時代を過ごしてきたこともあったので「気になる子」や「虐待」に触れる授業は全力集中できたのです。
そのおかげでなぜ子ども時代から集中力が無かったのか?
脱力感や無気力感に悩まされていたのか?
友達をモノのように扱ってきたのか?
人の顔色が気になっていたのか?
原因が明確になりスッと気持ちが楽になったのを今でもハッキリ覚えています。
それから大学を卒業し保育士として働き出してからも、参考書を購入したりしてひたすら学び続けました。
大学の授業だけでは物足りなかったんです。
そして生きづらさを解消し、人生を楽しめるひとつの答えにたどり着きました。
それは
生きづらさを解消するためには、子ども時代の自分と向き合い【唯一無二の原因を知ること】が超絶重要
ということ。
それと合わせて
当時の「寂しかった」「怖かった」などという気持ちを生みだしたトラウマは、生きづらさを植え付け、そのせいで人間関係を狂わせ、自分自身の存在価値も見出せなくなっていく。
しかもその苦しみは歳を重ねるごとに増えていく。
ということにも気付かされました。
だからこそ、早い段階で行動しなければならないと思い、今まで自分が学んできたことを実行。
ところがどう行動しても、完全に克服とまではいきませんでした。
その理由がズバリ環境。
実家暮らしだった私は生きづらさを生み出した発端でもある家族と同じ屋根の下暮らしていたため、なかなか解毒しきることができませんでした。
どんなに自分と向き合い、生きづらさを解消しようとしても環境が整っていなければ高い効果は得られなかったのです。
その後私はすぐさま同棲し、結婚したわけですが、
幼少期からずっと溜め込んでいた生きづらさを解消するには、その原因である(私の生み・育ての)家族と一緒に住んでいる以上、無理に近いと強く痛感しました。
そして実家を離れたことでこの方法の効果がどんどん出てきて私は人が変わったように情緒が安定し、人を恨まなくなったり、嫌な記憶に縛られて異常な憎しみを感じることもなくなったのです!
ノリ気になれない誘いはハッキリ断るし、自分の気持ちを我慢することも減り、ネガティブな考え方もしなくなった。
何より家族や友達、私と関わってくれている周りの仲間が大好きだし、毎日笑顔いっぱいで人生がとにかく楽しいと思えています。
私の信念
私はこの生きづらさの原因が子ども時代の家庭環境という事実を知ってから自分の中で決めていることがあります。
それは
「我が子には何があっても絶対に私と同じ思いはさせない」
ということ。
しかし度々テレビでは虐待のニュースが流れ、中には命を奪われるケースも。
そして実際の保育現場の中で「気になる子」を何人も見てきたこともあって
「我が子だけが同じ目に遭わなければそれでいいのか?」
という気持ちが芽生えるようになりました。
保育園で働いていた頃、
とある子は一度泣くと、ひどく叫びのたうち回る子がいたのですが、その子のお母さんはいつも「この子の事が好きじゃない」と存在を否定するようなことを言っていました。
またある子は保育士の話を聞かず不機嫌になりやすい子だったのですが、その子はお母さんから頻繁に些細な事でも保育園内に響き渡る声で人前にも関わらず怒鳴り散らかされていました。
過去の自分を見ているようで、我が子でなくても本当に胸が痛くなります。
あげればまだまだキリがないですが、私が数年働いた間だけでも、沢山の気になる子を見てきたというのに、これが全国の保育園、幼稚園、託児所でも同じだとしたら、その子ども達のほとんどは生きづらさを抱えた大人になってしまうかもしれない。
子どものうちは「可哀そうな子ね」と思われても、大人になれば誰も助けてくれません。
同情すらしてもらえません。
むしろ冷ややかな目で見られることさえザラです。
ましてや過去の私のように子ども時代のトラウマを解消できないまま既に生きづらさを抱え、毎日ギリギリの状態で苦しんでいる大人の方もいると考えるといても立ってもいられなくなったのです。
私はたまたま大学の授業をきっかけに、そこから勉強を続けて生きづらさを解消し、家族や友達と幸せに過ごせていますが、世の中のほとんどの人がこの事実を知らないのではないでしょうか。
ちなみに保育士全員がこの授業を受けるわけではありません。
そんな子や人々がこの事実を知ったらどれほど気持ちが楽になるだろうと思い、このような活動をしています。
本気でよく考えるんですが、私は保育士を目指していなかったら99%我が子に私と同じ思いをさせていたと思います。
手をあげていただろうし、自分の支配下に置いて子どもを人前で侮辱したり、自分の気分で当たり散らしていたと思います。
夫はメンヘラな私に耐えられず、別れを切り出していたかもしれません。
そして人の顔色を気にしながら、自分の気持ちを我慢し続け、何度も何度も後悔したり「なんで私はこうなんだろう」と自分を嫌いなままだったことでしょう。
でも生きづらさを解消できたからこそ、自分のことが大好きだし、我が子や夫、今私と関わってくれている友達や仲間が大好きだし一緒にいてとっても楽しい。という幸せな生活を手に出来ています。
大切な親友に相談しないでください
「子ども時代の家庭環境なんて過去の事なんだから変えられない」
確かに寂しい・つらい思いをした過去は変えることが出来ません。
でもそれではこの人生、お先真っ暗ですよね。
あなたも今までに現状の生きづらさを解決させるために色々と行動してみたことがあるんじゃないでしょうか?
ググってみたり、自己啓発本を読んでみたり。
それらの行動は「このままの自分ではいけない!」という本心からの行動。
どれも素晴らしいことです。
でもこれだけはやめてください。それは、、、
大切な人に相談すること。
「信じられると思うから」という理由だけで恋人、友達、家族に相談するのは絶対にお勧めできません。
なぜなら、『余計にストレスが溜まるだけ』の可能性が高いから。
「毒親育ちの生きづらさ」を多くの人は理解できない。
且デリケートな問題であるこの生きづらさは傷つきやすい性分の私たちにとって、理解してもらえなかった時のストレスが他の人より半端じゃないのです。
友達関係、恋人関係、家族関係に大きな亀裂を与えることさえあるので専門家でもない限り、絶対的におススメできません。
そこで今私が力を入れて活動しているのが、3カ月ぷろぐらむです。
私はこれまでの人生の中で物心ついた頃からずっと抱えてきた生きづらさと、それを解消するために10年以上勉強し、その生きづらさを解消したという人生の大好転を経験しています。
この経験を通して同じように悩む方のチカラになりたい、本気です。
少しでも
子ども時代の家庭環境がよくなくて
今も生きづらさを感じて苦しんでいる人の為になれたらと思っています。
▼気になる方は是非こちらから!
子ども時代のどの体験が今の生きづらさを生み出しているのか、
今の自分はどう行動するべきなのか、
あなたにとって自分らしく自由な人生とは何なのか。
一緒に明確にしていきましょう。
それだけでも人生に大きなプラスの変化があります。
私はこれらを明確にしてからまず相手への忖度がかなりなくなりました。
他商品の押売りや急遽金銭の請求などもありませんのでご安心ください(^^)
あなたはひとりじゃありません。
以上、ここまで読んでくださってありがとうございました!!!